四十にして惑う
2010-06-12


四十にして惑わずは孔子の言葉ですが、僕はそんな立派な人間ではありません。

大学を卒業して、千葉大学医学部の小児外科教室に入局しましたが、これは要するに、とある零細企業に就職したということです。
医者というと一般の方は自由業みたいなイメージでとらえるかもしれませんが、そうではありません。
サラリーマンです。

上司の元で仕事を憶え、上司の命令に従って仕事をする。
サラリーマンが上司に反抗できないように、医者の世界でもまったく同じ。
命令を受けて仕事をこなしていく訳です。
ですから、生き方に迷うことはなかった。
国家公務員でしたから、リストラされる心配も皆無でした。

立花隆さんの言葉によれば、迷って生きるのが青春。
40歳になって惑わなくなれば、青春が終わるのだそうです。
そういう意味からすると、僕は青春を精一杯生きたとは言えないようです。

そんな僕の人生の転機は40歳で大病をしたこと。
ここから迷い始めました。
大学病院で仕事を続けられなくなり、自分の力で生きていかなくてはならなくなったからです。

そしてそれから数年。
開業医になって生活が激変しましたが、最大の違いは、自分の人生にとって無駄なことをしていると思う時間が極端に減ったことでしょう。
僕のある友人は、僕のブログを読んで、「焦って本を読んでいるみたい」と感想を述べました。
これは半分正解で半分正しくない。

確かに焦りはあります。
僕の人生の残り時間を考えると、一体あと何冊の本を読めるか?
1年に100冊読んでも、20年で2000冊しか読めません。
しかしかと言って、急かされた気持ちで読んでいる訳ではありません。
本を読むと世界がどんどん広がりますので、充実した気持ちで読書をしているのです。

迷うことが青春ならば、僕は現在、青春の途中にいるということになります。
ヴァイツゼッカーの「荒れ野の40年」を読んで、国家の過去と未来に悩みながら思いを馳せる、、、そんな自分の姿は決してみっともなくないと思います。
これからも迷って生きていきましょう。
[ちょっと一休み]

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