「言論の自由」という高尚な話ではない
2015-01-13


週刊シャルリー・エブドは、発行部数6万部だそうです。
ところが事件を受けて、来週号にはまたもやムハンマドの風刺画を掲げ、25カ国に300万部を売るそうです。
あらたな事件が起きないか心配です。
フランスは「風刺」の伝統が強いことはぼくも知っていますが、資本主義丸出しの姿勢にはちょっと違和感があります。

フランスで「言論の自由を守れ」と370万人のデモ行進がありました。12人もの人がテロで殺されたのですからそれは当然でしょう。
しかしこういう状況はある種の危険が無いでしょうか?
言論の自由はどこまで可能か、宗教の自由とそれに対する帰依をどこまで尊重するかという問題について、370万人の人たちは冷静に語れるでしょうか?
こうなってしまうと、ちょっとした「戦争」ではないでしょうか?
そもそもの発端が「言論の自由」と言うには、レベルが低すぎると感じます。

世界には13億人のイスラム教徒がいます。
9・11後のアメリカのように、イスラムへの偏見と憎悪が燃えさかり、テロがテロを呼ぶようなことにならないことを祈ります。

追記)ドイツでは早速そうした対立が顕在化しているようです。「反イスラム」とその「反対派」、12万人がデモの応酬をおこなったそうです。
「言論の自由を守れ」は正しい。
「言論封殺のテロは許されない」は正しい。
そして、
「他人の宗教を冒涜してはいけない」も正しいと思いますよ。

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